2017-05-23

「やさしい日本語」に出会うまで(4)震災と「やさしい日本語」


大学院2年生の夏、母が病に倒れました。
独り暮らしの母、独り暮らしの私。
私が実家に帰ることにしました。

国際救援看護師派遣の夢はあきらめ、教育していただいたことを、
いつか必ず社会還元することを心に誓って退職しました。

大学院も、休学することにしました。

母の療養をサポートしている間、
2011年3月11日14時46分、東日本大震災が起きました。
未曾有の犠牲と破壊に心を痛め、救援看護師をやめてしまったことを
後悔しました。

心を寄せ続けて、遠くからでもできる支援を長く続けることと、
犠牲になられた方々を忘れず、その方たちの声をしっかりと心に刻み、
今は応援に行けなくても、必ず今後の為に活かしますと誓いました。

ニュースで、最初に海外から派遣された医療団に医療通訳士もふくまれていることに感激し、
やはり言葉の壁を乗り越える支援が不可欠だということが
このような緊急事態でも、だからこそ、必要だということを改めて知りました。
後に、被災された方の中に、外国人も多くかったことも判りました。

母の病状が少し落ち着いて、地元の病院に就職しました。
病院の防災マニュアルがなかったので、
立候補して以前の病院で学ばせていただいたこと
東日本大震災で被災した病院での経験レポートを元に作成しました。
そして、病院内に防災対策委員会も作ってもらいました。
私としては、途中で投げ出したり、挫折したことを少しは社会還元
できたかなという、自己満足的な安心を得ました。

でも、言葉の壁への挑戦は、棚上げしたままでした。

さて、就職した病院は、40床位の小さな総合病院です。
母の介護があるので、夜勤は無理ということで外来に配属していただきました。

しばらくして、外国人患者さんが少なからず来院されることに気が付きました。
調べてみると、以前にも書きましたが、地元が外国人集住都市であることが判りました。

ただ、日系南米人の方も見えましたが、アジア出身の方が多いのです。
私が学んだスペイン語は活かせる場面が少ないことが判りました。
中国語、ハングル語、タガログ語、インドネシア語、ネパール語、ベトナム語、アラビア語、、などなど。
話せるようになるには、途方もない努力が必要になります。

その上、現場は常に人手不足で、「皆で外国語を勉強しましょう。」などと
口が裂けても言えそうもないのです。

大学院に入る時に、目標にしていた「現場の職員がサポート力をつけよう」という目標は
とても遠いように思えました。

全国の多文化共生NPOなどが、多言語対応問診票を作成してくださっていたので、
問診はとれるのです。(ちなみに、厚生労働省が発表しているのは、英語・中国語・ポルトガル語・スペイン語

多言語医療問診票NPO法人国際交流ハーティ港南台公益財団法人かながわ国際交流財団
多言語問診票(外国人医療センターMICA)

それを元に会話がほとんどないまま、検査をして医師が薬を出します。
そして、会計を済ませて帰って行かれます。

看護は・・・外来看護師としての看護ができないまま。。。
「どうしたものかな。。。」と悩み続け、何年も経ってしまいました。

2016年4月14日21時26分、熊本地震が発生しました。
再び、災害支援方法と課題を検索し続ける日々の中、

<熊本地震>やさしい日本語HPアクセス急増/青森 : 河北新報
という記事に出会いました。以下引用します。

熊本、大分両県で相次ぐ地震を受け、災害などの緊急時、
外国人に分かりやすく情報を伝える「やさしい日本語」を研究する文学部の社会言語学研究室が、
ホームページで「やさしい日本語クイックレファレンス」を公開している。
クイックレファレンスは二次災害を防ぐ呼び掛け文や避難所内のポスター例など、
必要な情報がすぐ参照できる。
「水の無料配給を知らせる」「テレビで外国語のニュースがあることを知らせる」など
40項目以上の例示があり、これまで豪雨災害や震度5以上の地震の際に公開してきた。
緊急時は付きっきりの英語通訳や多言語対応が難しく、外国人が命を守る情報を得にくい。
学生たちは外国人支援に携わる行政職員やボランティア団体などに向けて発信し、
避難所や防災無線などで「やさしい日本語」を活用するよう提案している。

これが、私が「やさしい日本語」に出会った初めです。
4回にわたって書いてきた私の経験から、学びそして悩んできたことに
答えを示してくださっているように思いました。

確かに、外国人医療無料相談会では、
簡単な単語を日本語で書いたりしながらサポートしましたが、
コミュニケーションが取れたという実感はなく、
まして「やさしい日本語」というメソッドがあることも知らず、
外国人看護を日本語でサポートしようとは、考えたことがありませんでした。

弘前大学のホームページに
「熊本県熊本地方から大分県中部にかけて発生した地震に対する「やさしい日本語」クイックレファレンス」
がまとめられました。

見てみると、かなり沢山の内容が
「やさしい日本語」で伝えられることが判りました。

さぁ、ついに「やさしい日本語」にたどり着きました。
この言葉が、沢山の外国人被災者の苦悩を元に作成されたことを忘れず、
被災者の方たちに心を寄せ、
作成された方たちに敬意を覚えながら、
これから進んでまいりましょう。

今回も長くなりました。
次からは「やさしい日本語」を活かす確信へ
というシリーズに入っていきます。

では、また次回。


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2017-05-22

「やさしい日本語」に出会うまで(3)外国人看護と向き合う


前回綴り終えたところより、時間的に少し遡ったところから、始めます。

病棟で看護師をしていた時の悩みを前回書きました。
その悩みを、同僚や先輩に話していたのです。

ある日、先輩がすばらしい提案をくださいました。

当時、愛知県内は、急速に日系南米人の方が増えていて、
医療従事者を対象に募集しているということでした。

病棟の許可もいただけて、初級のスペイン語講座を受けることができました。
この講座では、語学学習の他に、集中セミナーがあり、
外国人医療最先端で活躍されている方々の講義を受けることができました。

中でも愛知外国人医療センター(MICA)を率いていらっしゃった
故杉浦裕先生の講義は、圧倒的説得力に満ちていて、
この先生に、もっと教えをいただきたいと思いました。

愛知外国人医療センター(MICA)は、
月1回愛知県内の様々な外国人集住地域を巡回して、
医師・看護師・保健師・検査技師などがボランティアで
簡単な検査や無料健康相談をしているのです。

私もボランティアナースとして参加させていただくようになりました。

それぞれの地域でコミュニティー通訳の役割を担っている方と
出会うことができましたが、利用される外国人すべての言葉を
サポートすることは難しいことが判りました。

私もご利用者さまが持って見えた辞書をいっしょに引きながら、
あるいはひらがなや、ローマ字で簡単な日本語を書きながら、
英語も片言のスペイン語も総動員してコミュニケーションを
とりました。

一生懸命、スペイン語も自己学習しましたが、コミュニケーションが
とれるほどには、なかなかなりません。
「あ、この人スペイン語話せるんだ」って思われた途端、
堰を切ったように、沢山話されて、ちっとも解ってさしあげられず、
お互いがっかりしてしまうようなことも度々ありました。

もっと勉強したいと思っている矢先に、
「リーマンショック」がやってきました。
日系南米人の人々が、失業して沢山帰国されてしまいました。

残られた日系南米人のコミュニティも脆弱になってしまいました。
でも、この方たちは、定住する意思を持って残られているので、
日本語の勉強もされ、日本社会に溶け込もうと努力されていました。

ただ日常会話はほとんど、日本語でできるけれども
やっぱり、病院の言葉は解らないことが多いということでした。

医療分野スペイン語の勉強もがんばらないといけないな
病院の言葉は日常会話ができても難しいという声を研究として世に出し、
サポート力を現場職員がつける必要性をもっと沢山の看護師仲間と共有したいな
進学しました。

下の子が大学を受験する時に、私も大学院の受験を頑張りました。
一緒に合格でき、子どもたちは独り立ち。
私はいよいよ国際救援部に次の年こそは入ろうと決意しながら
大学院の勉強を頑張っていました。

またまた長くなりました。
「やさしい日本語」に出会うまで、もう一つ転機が来ます。

それはまた次回


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2017-05-21

「やさしい日本語」に出会うまで(2)国際救援看護師をめざした頃


看護大学2年生の時、父が海外で飛行機事故で他界しました。
いきなり、重たい話ですみません。

父は環境工学の大学教授でしたが、JICA(国際協力機構)の仕事で
インドネシアに赴任していました。
その間の出来事でした。

父の遺体を整えてくださった方の中に、
青年海外協力隊の看護師さんが見えたのだそうです。
本当に感謝しています。
言葉では言い尽くせない感謝です。

直接お礼を申し上げることはできませんでした。
でも、看護師になって、力をつけて、そして子ども達が
独り立ちしたら、国際救援看護師になって、恩返しがしたいと
思いました。

国際救援ができる病院に就職することができました。
子ども達が独り立ちするまでに、沢山のことを学ばせていただきました。
特に英語教育をしていただけたのは、今でも私の財産です。

そんなこともあって、外国人患者さまの担当を
させていただくことが増えました。

でも、何かひっかかっていました。

例えば、子どもさんが入院していて、
お母さんが1日中付き添っているのですが、
お母さんは日本語も英語も通じなくて、
ジェスチャーや指差しカードぐらいしか、
コミュニケーションがとれなかったことが度々ありました。

夜お父さんが来られて、英語で1日の事を話させていただいて、
それをお父さんがお母さんにお伝えくださって、
やっとお母さんがホッとした顔をなさるのです。
1日どれほど不安でいっぱいだったでしょう。

何とかできないか、ずっと悩んでいました。
国内の外国人看護についてもまた、国際看護だと考えて
真剣に取り組もうと思いました。

丁度その頃、父の遺品を整理していると、
環境問題を語る上でのキーワードである
"Think globally, Act locally. Think locally, Act globally."
という言葉に出会いました。
「地球規模で考え、足元から活動せよ。
地域に根差した思考の上で、地球規模で行動せよ。」
というものと理解しています。

道が示されたように思いました。

結局、国際救援看護師になることはありませんでした。
海外に赴任できる環境は整いませんでした。
子どもたちが独り立ちしたとたん、今度は母が病に倒れたからです。
私は離職して、実家に帰りました。

病院には、せっかくいろいろ訓練していただいたのに、
貢献することができませんでした。

ところが、実家のある町はそれまで気が付いていませんでしたが、
外国人集住都市の1つになっていました。
まさかこのように運命が繋がっていようとは、思いもよりませんでした。

母と共に暮らしながら、
外国人看護についてライフワークにすべきだと
父から指示が下りてきたたかのような気持ちになりました。


またまた、長くなりました。
でも、まだ「やさしい日本語」にはたどり着けないのです。

続きは次回。


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2017-05-21

「やさしい日本語」に出会うまで(1)解らなかった病院の言葉


今、私は「やさしい日本語」を勉強しようと燃えています。

どうして、そんなに熱くなってしまったかということを
これから数回に分けて、綴っていこうと思います。

私は今48歳です。看護師になったのは32歳の時でした。

24歳の時、当時2歳だった娘が脳外科の手術をしなければいけない病気になりました。

主治医の先生が、いろいろ説明してくださいました。
手術の危険性もたくさん話してくださいました。
でも、正直「手術をしなければ治らない」ということしか解りませんでした。
そして、手術の同意書にサインをするときが、やってきました。

「手術の過程でいかなることが起きても、異議申し立てはいたしません。」
というような文章が最後に書いてありました。
本当は、意味が解っていないのに。。。
「手術をしなければ治らない」というのだから。。。
納得しているわけではないけど、サインするしかない。。。
後、私ができるのは祈ることだけ。。。
胸のつぶれるような思いでサインしました。

幸い、手術は成功しました。
それなのに、私は大きな過ちを犯してしまったのです。

手術が終わって、病棟のベッドに娘を寝かすと、看護師さんが
「医師の許可が下りるまで『絶対安静』ですからね。」
「何かあったら、ナースコールを押してくださいね。」
と言って、部屋から出ていきました。

しばらくして目が覚めた娘は、
「おトイレに行きたい」と言いました。
「おしっこなら管で出てるから、大丈夫。オムツもしてるから心配しないで。」
と私が言うと、
「もう、お姉ちゃんだもん。オムツではしない。おトイレに行く。」
と泣くのです。
何度も説得しましたが、娘がだんだん
「もれちゃうよぉ。おトイレに行く!」
と半狂乱になったのです。
『絶対安静』と看護師さんは言っていました。

私は、家からオマルを持ってきて、とりあえず娘をそれに座らせれば
なだめられるかと思い、そうしました。
オマルに座った途端、娘は激しく吐きました。
慌てて、抱き上げ、背中をさすりながらナースコールを押しました。

入ってきた看護師さんが叫び声をあげ、娘をベッドに横にして
応援を頼みました。
医師や看護師が沢山駆けつけて、点滴から薬を入れて娘はまた眠らされました。
「『絶対安静』といったじゃないですか。なんで抱き上げたりしたんですか。」
とひどく叱られました。

看護教育を受けてから、『絶対安静』とは、場面場面で違う使い方をすることが
解りました。
でも、その時は「絶対、安静」という意味だとしか思いつかなかったのです。
まさか、「泣こうが暴れようが頭と体を水平に保つこと」とは
思いもよりませんでした。

この後、看護師さんはまた
「何かあったら、ナースコールを押してくださいね。」
と言って出ていきました。

看護師になった今は分かります。
「何かあったら、ナースコールを押してくださいね。」
ある意味、看護師が出ていくときの挨拶のようなフレーズだということ。

でも、その時は自分のせいで、とてつもない事が起きた直後です。
「何かあったら」という所だけで頭がいっぱいになってしまいました。

「トイレに行っている間に何かあったらどうしよう。」
「買い物に行っている間に何かあったらどうしよう。」
「寝ている間に何かあったらどうしよう。」
そんな不安で、寝食を控えて、まんじりともせず娘を見守っているうちに
自分が倒れて、娘の横で点滴を受ける羽目になってしまいました。

言葉の意味を知らないって恐ろしい。
日本語として知っている単語なだけに、自分が誤解しているなんて
思いもしないので、質問すらしませんでした。

看護師さんも、素直に解ったような顔をして「はい」と言った私を
疑うこともなかったでしょう。
そして、思いもよらない展開に、驚かれたことでしょう。
もしかしたら、ヒヤリハットレポートを書かされてしまったかも
しれません。

手術を受ける前よりはるかに改善したとはいうものの、
軽いてんかん発作が残ってしまった娘を、その後も守るためには、
勉強しなければいけないと強く思いました。

手術から2年後、看護大学に進学しました。
娘が体をはって、私に示してくれた使命だと信じています。

幸い、娘は私が大学を卒業する頃には、てんかん発作が
なくなって、薬もどんどん減らし、小学校を卒業する時には
薬を飲まなくてもよくなりました。

今では、そんな娘もお母さんになっています。(私はおばあちゃんに)

こんなことがあって、私は外国人医療と向き合う前に
「わかりやすく、誤解がないように患者さまやご家族さまに説明する」
大切さを自覚して、そしてベテラン看護師になった暁には、
そうしたことを伝えていけるようになりたいと思ったのでした。

長くなりました。
まだまだ「やさしい日本語」に出会うには長い道のりがあります。

続きは次回。

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